【第2回】受験勉強の、その先にあるもの
前回、受験を終えたその日に教室へ来た小学生と、相対性理論の話をしたことを書きました。
あの日のことを思い返しながら、私は改めて考えました。
受験勉強というものは、一体何のためにあるのだろう、と。
私は、受験勉強そのものを否定するつもりは全くありません。目標に向かって努力する経験は、子どもたちにとってとても大切なものですし、勉強したことで損をすることもありません。
実際、受験という目標があるからこそ、これまで出会わなかった知識や考え方に触れることもできます。
ただ一方で、点数や合格だけが目的になってしまい、「知りたい」「分かりたい」という気持ちそのものが消えてしまうとしたら、それは少しもったいないとも感じています。
受験が終わって、「もう勉強しなくていい」と解放されたはずの子どもが、次に「相対性理論を教えてほしい」と言った。あの瞬間、私はとても嬉しくなりました。

(三平方の定理を使って時間の遅れを考えている授業の板書)
勉強を“やらされるもの”ではなく、“知りたいから学ぶもの”として続けていけるなら、それはきっと長い人生の中で大きな力になるはずです。
受験という通過点を越えたその先に、学びそのものを楽しめる時間が続いていってほしい。
そして、その時間を少しでも一緒に過ごせるなら、指導する側としてこれ以上の喜びはないのだと思います。